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キングダム太后ろうあい反乱!子供は処刑後どうなった?

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キングダムの中では、これまでいくつかの反乱がありましたね。

中でも、咸陽が攻められるという窮地に陥ったのが、太后とろうあい(嫪毐)による毐国の反乱!

2人は秦の人間にも関わらず、一体何が原因で反乱に至ったのでしょうか。

さらに嬴政の母である太后には、ろうあいとの間に子供が!

ろうあいの処刑後、子供たちがどうなったのかも気になりますね。

この記事では、キングダムで太后とろうあいが起こした反乱について詳しくご紹介していきます。

毐国の反乱、そしてろうあいの処刑とその後を改めて見ていきましょう!

 

キングダム太后ろうあい反乱!

秦が中華統一を目指す物語、『キングダム』。

ですが実は未だ一国も制覇できていません!

その理由は、秦国内での政治的内乱が激しく、秦王・嬴政が正式に実権を握るまででも重大な問題が積み重なっていたから。

特に嬴政の成人の儀式である「加冠の儀」に関連した、毐(あい)国の反乱は、あわや咸陽を攻め落とされる事態にまで発展しました。

そして、この反乱の首謀者こそ、太后とろうあい!

彼らは何故、自国に対して反乱を起こしたのでしょうか。

以下で詳しくご紹介します!

キングダム40巻までのネタバレを含みますのでご注意ください!

 

キングダム太后とろうあいとは?

まず、首謀者となった太后とろうあいのプロフィールがこちら!

太后

太后は秦の皇后であり、嬴政の実母

秦の後宮勢力をまとめあげている人物でもあります。

元々、趙では”邯鄲の宝石”とまで呼ばれる美しさを持っていた、一流舞姫でした。

後の荘襄王である子楚に嫁ぎ、趙で嬴政を産みます。

ところがこれは呂不韋の裏切りによるもの!

太后と呂不韋は当時恋人関係にありました。

呂不韋の許嫁だったにも関わらず、彼が出世するための道具として太后は子楚へと献上されたのです。

加えて、子楚と呂不韋は彼女を置いて、趙から秦へ脱出してしまいます。

愛する人に裏切られ、趙に子供とともに取り残された太后。

子楚が秦王になり、太后と嬴政を秦に呼び戻すまでの間、ずっと趙で人々から侮辱と虐待を受ける過酷な日々を過ごすことになります。

そのため、実の子供である嬴政にも全く興味はなく、太后になっても心が救われることのない辛い毎日だったとのこと…。

ろうあい(嫪毐)

ろうあいは、元々大した取り柄のない下級文官でした。

幼少期には大きな体でありながらいじめられ、成人してからも勇気が無くて戦場に行けなかったそう。

しかし、夜な夜な接待で披露していた下品な芸を呂不韋に買われ、色欲に狂っていた太后の相手をするために偽りの宦官として後宮に送り込まれます。

性格は素朴かつ実直。

最初は太后のことを恐れていたものの、彼女が苦しみに涙を流す様子を見て「決して涙されぬように」と太后を大切に思うようになりました。

この2人が出会ったのも呂不韋の策略でしたが…

 

反乱の経緯について紹介!

秦が魏の著雍を攻略すると、太后は山陽・著雍を後宮勢力が貰い受けると言い出します。

ところが太后の本当の目的は、秦の最北の地「太原」!

山陽の長官にろうあいを指名することで山陽・著雍の兵力を太原に集め、そこで2人で新しい国を建国してしまうのです。

その国こそ、毐(あい)国。

金を持つ後宮勢力がついているため、あい国は金の力で人や物を集め、さらに他国とも独自に外交を築いていきます。

日に日に国として力を増していくあい国。

しかし、実は内部の大臣や側近の多くが、あい国を利用し秦を陥れようとする他国の手先でした。

あい国の力が膨れ上がる中、大臣の虎歴は、王となったろうあいに咸陽へ進軍し、反乱を起こすことを勧めます。

理由は、太后とろうあいが男子禁制の後宮で姦通し、さらには隠し子までいることが咸陽にばれ、咸陽があい国を討つために軍を興そうとしているからというもの。

「先手を打たねば」という虎歴の扇動により、多くの側近が太后とろうあいに挙兵を詰め寄る事態に!

後に引けなくなった太后とろうあいは、偽の玉璽を使い一帯から兵を集め、咸陽へ軍を興すことになりました。

虎歴はあい国の反乱を促す楚の手先だったのです…

反乱は嬴政の成人の儀式である「加冠の儀」の日に決行!

ところがこの加冠の儀で、太后は咸陽には何もバレていなかったことを知ります。

なんと、裏で全て呂不韋が手を引いており、あい国が加冠の儀に反乱を起こすように仕向けていたのでした。

呂不韋は太后を利用して、この反乱に乗じて自分が秦王に成り代わろうとしていたのです!

結局、あい国の反乱は、呂不韋陣営の1人である昌平君の裏切りもあり、飛信隊の活躍もあって失敗。

これがきっかけで呂不韋も失脚することになりました。

 

キングダム太后ろうあいの子供は処刑後どうなった?

ずっと呂不韋の手で踊らされ続けた太后。

しかしこの反乱とあい国建国には、太后にとって深い理由がありました!

子供がいた太后とろうあい。

あい国建国の裏側と、処刑後について見ていきたいと思います。

 

太后とろうあいには子供がいた!

太后とろうあいには2人の隠し子がいました。

この子供の存在を呂不韋に知られたために、太后はあい国ごと利用されることになるのですが…。

最初は太后の性欲処理だけの関係だったものの、太后の心の傷や、ろうあいの優しさに互いに触れ、2人は子供を産み育てることに。

妊娠により、太后はこれまでのような乾いた日々ではなく、心の平穏を求めるようになります。

実は太后はろうあいや子供達と共に、呂不韋などの過去のわだかまりから離れ、心を休めるために国を作ったのでした。

反乱についても、子供達を人質に取られたために起こさざるを得なかった状況と言えます。

あい国建国も、決して秦を乗っ取ろうとすることが目的などではなかったのですね。

ようやく太后の人間らしさが垣間見えました

 

処刑後にはどうなった?

反乱は失敗に終わり、ろうあいは処刑されることに。

「子供の命だけは助けてくれ」と、その場で太后は嬴政に土下座しましたが、反乱の火種となりかねない子供達を救うことはできないと言われます。

そのままろうあいは車裂きの刑に処され、太后は幽閉。

しかし、嬴政は太后とろうあいの子供達を処刑することはせず、秘密裏に匿っています。

何年先かに国内が完全に落ち着いたら、太后と子供を引き合わせるとのこと。

嬴政の優しさが、太后の心に響くことを祈るばかりですね。

 

まとめ

キングダムでの太后とろうあいの反乱についてご紹介しました!

2人に子供がいたことは驚きでしたが、それ以上に太后とろうあいの関係に胸を打たれますね。

この反乱は史実でも存在するエピソードですが、子供は処刑されたといいます。

キングダムオリジナルの展開なので、いつか太后と子供達は再会することになるのではないでしょうか!

処刑のシーンでは各登場人物の名言もたくさんありますので、またの機会にご紹介できたらと思います♪