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キングダム【平陽の戦い】史実との違いは?かんきは扈輒に圧勝だった?

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キングダム62巻から収録されている平陽の戦い

かんきと扈輒が戦ったとして史実にも残っているこちらの戦いですが、実際の歴史ではどのようなものだったのか気になりますよね。

そこでこちらの記事では、キングダムで盛り上がりを見せる平陽の戦いについて、史実との違いを中心に解説してみたいと思います。

キングダム本編の展開ではかんきは扈輒に苦戦を強いられたものの、結果的に圧勝。

史実でも本当に圧勝だったのか、その違いも見ていきましょう!

 

キングダム【平陽の戦い】史実との違いは?

平陽の戦いが展開されているキングダム!

鄴攻めに続き、六大将軍となった王翦や楊端和、そしてかんきらが趙の平陽・武城の2城へ侵攻した戦いです。

かんきは趙の第1将・扈輒将軍と相対することになったのですが…。

かんき軍8万に扈輒軍は24万と最初から大ピンチ!

こちらの戦い、史実では一体どのように記述されているのでしょうか?

早速、平陽の戦いの全貌を、史実とキングダムでの違いに注目してみました!

 

史実では始皇本紀以外にも記述がある!

平陽の戦いは紀元前234年に秦と趙との間に起こった戦とされ、実際に史実にも記録として残っています。

実は、このかんきと扈輒が戦った紀元前234年の戦いについては書き方が様々。

キングダム本編では司馬遷の『史記』始皇本紀から引用されています。

始皇十三年、桓齮攻趙平陽(始皇十三年、桓齮は趙の平陽を攻めた)

引用:『史記』秦始皇本紀

この記述を元に、キングダムでは桓騎と扈輒の平陽の戦いについて、原先生が想像力を広げて描かれました。

しかしこの他にも、史実として残っている記録があるんです。

趙側の記録として残っている『史記』趙世家での記述はこちら。

秦攻武城,扈輒率師救之,軍敗,死焉(秦は武城を攻め、扈輒は軍を率いてこれを救いに向かったが敗れて戦死した)

引用:『史記』趙世家

そして、廉頗藺相如列伝には以下のように記録されています。

秦破殺趙将扈輒于武遂,斬首十万 (秦は趙将扈輒を武遂で破り、殺し、十万の首を斬った)

引用:『史記』廉頗藺相如趙奢李牧列伝

この2つの趙側の記述と始皇本紀を合わせて考えられるのは、かんきと扈輒が戦ったのは平陽・武城・武遂の3パターンあること!

実際にはどこで戦ったんだろう?

3つの記述は秦側と趙側で見方が違うはずなので、このように記述が分かれたのだと考えられます。

そして、始皇本紀では平陽城を攻めたと書かれているわけではありません。

よってキングダムでは、あえて特定の城攻めにはせず、この一帯での戦いをまとめて平陽の戦いとして描いたのではないでしょうか。

 

李信や王賁が平陽の戦いに出陣した記録はない!

さらに史実とキングダムで大きく違うのは、この戦いに李信や王賁が出陣していた記録はないということ!

信も王賁も史実に将軍として名前が残る人物ですが、2人とも史実で明確に記録に残っているのは平陽の戦いの後なんです。

李信は紀元前229年から。

王賁は紀元前226年から記録が残っています。

なのでかんきと扈輒に関する一連の戦いに、史実として李信や王賁の出陣があったかどうかは不明!

もちろん上記以前から李信や王賁が戦場に出ていたことは間違いないと思われるので、紀元前234年にかんきの下で戦っていてもおかしくはありません。

この辺りもキングダムで想像力を膨らませられた展開ということになりますね!

2人とも紀元前234年のあたりはまだ下っ端だったのかな?

 

キングダム【平陽の戦い】かんきは扈輒に圧勝だった?

平陽の戦いは、キングダムと史実で戦った場所や人物に違いがあることが分かりましたね。

では、結果や戦術としては史実との違いはあるのでしょうか?

史実ではかんきは圧勝だったのかな?

気になる平陽の戦いの史実との違いを、さらに調査してみました!

 

キングダムでは苦戦を強いられた平陽の戦い!

キングダムの平陽の戦いは開始直後から苦戦気味。

かんきが率いていた秦軍右翼は、他の王翦や楊端和の2軍に比べて怒涛の攻めを見せるものの、途中の”影丘”で足が止まります。

この影丘というのが、攻めるにはとんでもない難所。

しかし影丘を抜くことが、かんき軍全軍を勝利に導くために不可欠だというのです。

秦軍ほぼ全滅の影丘に飛信隊と玉鳳隊が挑むんだよ

平陽の戦いにおいて、信たちにとってはメインとも言える影丘ですが、史実ではなんと一切登場しません!

そもそも平陽の戦い自体、どのように扈輒率いる趙軍を攻略したのか記されていないので、秦が劣勢の流れも完全にキングダムオリジナルなんですよ。

 

史実のかんきは扈輒に圧勝で10万人を打首?

キングダムの平陽の戦いは、最後の最後まで秦が劣勢に見えましたよね。

扈輒軍24万対、かんき軍8万という戦力差で開戦しましたが、史実での戦力差ははっきりと分かっていません。

しかし、先に述べたどの史実でも「扈輒が敗れ、かんきが10万人を打首にした」ということは書かれており、この事実は間違いないようです。

どのように戦ったのか、秦側にどれほどの犠牲を出したかは分かりませんが、劣勢だったわけではない様子。

むしろ10万人の趙兵を打首にするというのは、かんきが圧勝だったと考えざるを得ませんね。

ちなみにかんきが使った孫臏(そんびん)の戦術は実際に存在しているものだよ

オリジナルストーリーとはいえ、戦術や結果などは実際にあったものを織り混ぜているので、この平陽の戦いもある意味リアリティがあります。

「10万人が打首」という史実がありながら、そこに向かって予想外な展開を生み出せるのは、さすがの原先生というところでしょうか!

 

まとめ

キングダムの平陽の戦いについて、史実との違いを見比べつつ解説してみました!

改めて史実を見ていくと、ほとんどがキングダムのオリジナルストーリーということが分かりましたね。

しかし平陽の戦いでかんきが扈輒に圧勝し、10万人を打首にしたということは紛れもない事実のようです。

キングダムのストーリーでは圧勝とは中々言い難い展開でしたが、そういった違いも史実と見比べていくと、とても興味深いなと思いました。

扈輒に勝利したかんきが今後どうなっていくのか…。

見逃せない展開を今後も楽しみにしていきましょう!